413.中国遠征その27/松江城に登ろう!


 平成29年07月18日。

 三連休です。朝起きてゆっくり準備をして出発です。


 山陽自動車道の三木SA(下)で昼食に播磨王醤油ラーメン+高菜ご飯。

 うん。イマイチや。


 広島県に入って下道を移動、道の駅「みはら神明の里」に到着です。

 下調べしない私らしいミス。定休日でした。行き成り今回の旅路の目的である中国道の駅のスタンプラリー完成がしくじります。


 小雨が降る中、道の駅「たけはら」です。


 古い町並みで知られている集落ですが、道の駅には立派な鯉がいました。


 瑠璃山(るりさん)浄福寺(じょうふくじ)です。

 境内から瀬戸内海の島が見渡せます。


 中国四十九薬師霊場20番札所として参拝です。


 激しい雨に打たれたと思ったら、青空も見える天気が続きます。

 道の駅「よがんす白竜」です。ここで昼時に売れ残ったであろう「だいわレンコンのパニーニ」でカロリー補給。パニーニって何だろうと思いつつ調べるとサンドイッチのことでした。

 写真は撮ってなかったけど、結構美味しかったです。


 道の駅「湖畔の里福富」です。

 ここで進路を北に取り、島根県安来市に入ります。


 道の駅にもなっている月山富田城跡に到着ですが、19時を過ぎており、タイムオーバー。

 米子市で夕食を済ませて近くの道の駅で車中泊。


 平成29年07月19日。

 米子市内の萬壽山(まんじゅさん)安国寺(あんこくじ)です。


 中国四十九薬師霊場40番札所として参拝です。


 続いて松江市に移動して寶亀山(ほうきざん)安國寺(あんこくじ)です。


 中国四十九薬師霊場39番札所として参拝です。


 華渓山(かけいさん)常栄寺(じょうえいじ)です。

 中国四十九薬師霊場38番札所として参拝です。


 松江神社です。

 松江城の城内にあります。主祭神は松平直政(松江松平家初代藩主)で明治時代に造られた新しい神社です。


 松江城の天守閣です。

 関ヶ原の戦いで東軍についた堀尾忠氏(ほりおただうじ)が24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立しましたが、月山富田城は山城で城下町形成に向かない為、松江城の築城を開始しました。


 天守閣の最上階です。

 現存天守らしく江戸時代ながらの木造がむき出しです。


 平成27年07月08日、天守が国宝に指定され、5つ目の国宝天守となりました。


 石落としです。

 基本的に石を落としたり、弓矢を射掛けたり、火縄銃を打ったり、汚物を投げたり最後の抵抗をする防衛網です。どんなに抵抗しても天守閣まで追い詰められたら落城する他はありません。


 松江城の内堀です。


 日本の道100戦【塩見縄手】や新・街路樹100景【塩見縄手の松並木】に選ばれています。


 佐太神社(さだじんじゃ)です。

 前回は出雲神仏霊場4番札所として参拝しましたが、今回は出雲国二宮として参拝です。


 天一山(てんいちざん)神宮寺(じんぐうじ)です。


 中国四十九薬師霊場36番札所として参拝です。


 日本の渚百選【稲佐の浜】です。

 弁天島が印象的な浜です。100選ハンターの私が渚百選をコレクションしていないのはどこの浜も写真にするとある程度同じように映ってしまうのです。

 こういう目印があると良いのですけどね。ちなみにここは国譲り神話の舞台で、古事記や日本書紀にも名前が出て来ます。流石は大国出雲。


 花高山(はなたかさん)延命寺(えんめいじ)です。


 中国四十九薬師霊場37番札所として参拝です。


 昨日に続いて、月山富田城に訪問です。

 この銅像の人は、尼子家復興を狙う山中幸盛(やまなかゆきもり)です。山中鹿介と書く方が有名かもしれませんね。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話が残っています。


 月山富田城は戦国時代の山陰道の覇者となった尼子氏の拠点となった城郭です。

 その後、鳥取県に入ります。

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