全国百選めぐり【岡山の風景】

到達記録(岡山城)

 平成20年07月16日、平成23年01月16日、平成25年02月15日、平成29年05月16日、令和06年04月10日他、何度か訪問しました。

 岡山城(おかやまじょう)は、岡山県岡山市北区にある城跡です。

 岡山城は、豊臣秀吉の寵愛を受けた宇喜多秀家(うきた ひでいえ)が慶長02年(西暦1597年)に完成させた城です。宇喜多秀家は3年後の関ヶ原の合戦で敗軍の将となり、八丈島(東京都/伊豆諸島)に流され、関ヶ原で寝返った小早川秀秋が入城しますが、慶長07年(西暦1602年)に跡継ぎ無く早々に死去。その後、池田輝政(徳川家康の娘・督姫のご主人)の子孫が代々城主を務め明治維新を迎えました。

 岡山城は、昭和20年(西暦1945年)の岡山空襲で焼失しました。現在の天守は、昭和41年(西暦1966年)に再建された鉄筋コンクリート造の復元天守です。別名、烏城(うじょう)です。国の史跡【岡山城跡】です。

 日本100名城【岡山城】日本名城百選【岡山城】

到達記録(備中高松城)

 平成30年08月18日他、何度か訪問しました。

 備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)は、岡山県岡山市北区高松にある城跡です。

 備中高松城は、戦国時代備中に勢力を誇った三村氏の有力家臣である石川氏が築城したのが始まりとされています。三村氏が毛利氏に滅ぼされると清水宗治(しみず むねはる)が城主になります。本能寺の変の直前、羽柴秀吉との攻防「高松城水攻め」が有名ですね。

 本能寺の変を知った羽柴秀吉との講和で、清水宗治は部下の助命を条件に切腹したのでした。国の史跡【高松城跡 附 水攻築堤跡】です。現地では、城跡らしきものはほぼ残っておらず、水攻めの堤防跡が僅かに残っているだけでした。続・日本100名城【備中高松城】のスタンプの押印時間が短いので要注意です。

 続・日本100名城【備中高松城】

到達記録(大名庭園・後楽園)

 平成23年01月16日、平成29年05月16日、令和06年04月10日他、何度か訪問しました。

 後楽園(こうらくえん)は、岡山県岡山市北区後楽園にある日本庭園です。

 後楽園は、江戸時代初期に岡山藩二代目藩主・池田綱政(いけだ つなまさ)によって造営された元禄文化を代表する庭園です。【岡山城】の大名庭園です。拝観料は大人一人410円でした。

 後楽園は、水戸市の【偕楽園】、金沢市の【兼六園】と並んで日本三名園の一つに数えられる庭園です。日本の都市公園100選【後楽園】の顕彰碑は、どこか発見に至らず、スタッフの方に声を掛けましたが、「賞状は事務所にあるけど、顕彰碑はわからない」でした。事務所にも問合せをしましたが、見つからず、とのお返事でした。

 日本の都市公園100選【後楽園】

到達記録(西川緑道)

 平成25年02月15日、令和02年09月08日他、何度か訪問しました。

 西川緑道(にしかわりょくどう)は、JR岡山駅の近くにある西川用水の両岸を緑道として整備した道路です。

 昭和49年(西暦1974年)から約9年かけて、岡山市街地に総延長2.4km、総面積4.0haが「西川緑道公園」として整備されました。

 およそ100種類の樹木約3万8千本が植樹されているのだとか。西川緑道の東に、【岡山城】や【後楽園】があります。

 新・日本街路樹100景【西川緑道】

到達記録(雄町の冷泉)

 平成22年06月29日、令和02年09月08日他、何度か訪問しました。

 雄町の冷泉(おまちのれいせん)は、岡山県岡山市雄町にある湧水です。

 雄町の冷泉は、江戸時代の貞享03年(西暦1686年)に池田綱政によって整備され、岡山藩池田家の御用水として活用されていたのだとか。

 現地では、「おまちアクアガーデン」と名付けられた公園が整備されており、地元住民らしき人たちがひっきりなしに水汲みに来ている姿を目撃することが出来ます。

 昭和の名水百選【雄町の冷泉】

到達記録(京橋)

 令和06年04月10日に訪問しました。

 京橋(きょうばし)は、岡山県岡山市を流れる旭川(あさひがわ)に架かる橋です。

 大正06年(西暦1917年)、現行の京橋が架橋。京橋には、片側1車線で橋の中央には岡山電気軌道東山本線の併用軌道があり、路面電車が走っています。

 日本百名橋【京橋】

到達記録(百間川)

 に訪問しました。

 百間川(ひゃっけんがわ)は、岡山県岡山市南部にある河川です。

 百間川は、江戸時代初期に岡山藩主・池田光政(いけだ みつまさ)が【岡山城】城下を旭川の氾濫から守るために整備した人工河川です。約20年に渡る大工事だったとか。

 21世紀に残したい日本の自然100選【百間川】の選定理由は「流域に500種を超える植物が分布。珍魚オヤニラミも生息」となっています。百間川現地では、河川敷に野球場、テニスコート、サッカー場などのスポーツ施設や遊具広場など百間川緑地として整備されています。

 百間川では、かつてはオニバスの群生が見られており、特に百間川河口東岸では日本一と言われる自生の大群生が広がっていたそうですが、昭和60年代に絶滅したのだとか。周辺住民によるオニバス再生の活動もあるようですが、再生の道のりは難しい様子です。

 21世紀に残したい日本の自然100選【百間川】

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